今朝、朝食を食べながら庭に目をやると、桔梗が咲いているのを見つけました。数日前から蕾が大きくなっていたので「そろそろかな」と気にかけていたのです。数年前に5〜6株を植えたのですが、場所が合わなかったらしく、ついには最後の1株になってしまいました。それでも健気に花を咲かせてくれた桔梗に感謝です。

カタカナで「キキョウ」と書くより、漢字で「桔梗」と書いた方が断然に美しい。ここ塩尻がかつては「桔梗が原」と呼ばれていたこともあり、「桔梗」という響きには何か親近感を覚えるのです。



ところで、デジタルカメラというのは「紫」の表現が苦手です。この写真も花が青く写ってしまって、全然本物の艶やかさが出ていません。ソフトウエアでパラメータをいじったりして何とか修正を試みましたが、今ひとつです。デジタルではまだまだ不自然な領域がたくさんありますので、家族のイベント時には、今でもフィルムカメラを持ち出す「フィルム派」の私です。

今年の春、「家族の記念写真を撮ってもらおう!」ということになったのですが、タウンページで調べた写真スタジオにいくつか電話して確認してみると、今はどこのスタジオもカメラはデジタルカメラを使用しているとのこと。変なところでヘソ曲がりな私はそれでは納得できずに、フィルムカメラを使用しているスタジオを見つけ出したのでした。何のことはない、我が家から車で5分ほどの比較的近くのスタジオが今でもフィルムカメラを使用しているということが判明して、そこにお願いすることにしました。

スタジオに行くと、かなりご年配のご主人が迎えてくれました。使用しているカメラをチラリと見ると、往年の大判カメラの代表格である「ホースマン」が設置されていました。そうそう、これでなくっちゃ・・・と一人満足気にニヤニヤしながら、家族の記念写真を無事に撮影していただくことができたのです。

フィルムですから、撮影結果は現像してみるまでわからない。だからこそカメラマンは「光」「表情」すべての要素に気を配り、ピント合わせも、絞りとシャッタースピードの設定も、すべて細心の気を配り、もちろんマニュアルで調整してからシャッターを切るのです。その熟練した技を必要としなくなったデジタルの世界は、今でも薄暗いスタジオでフィルムバックを抜き差ししているご主人のような「仕事人」を、この社会から追放してしまうことでしょう。

恐らく10年後には、フィルムを使って撮影してくれるスタジオは壊滅状態になることでしょう。40代男のノスタルジーと言われればそうなのかも知れません。私だって、HPやブログ用の写真にはデジタルカメラを使っています。しかし、やはり私は、すべての光のグラデーションを見事に描ききる、そのフィルムの写し出す「真実」が好きなのです。