自然の猛威の前に、人間のちっぽけな力はほとんど無力のように思えます。
大きくゆらゆらと揺れるログハウスの店内にいながら、そんな事を考えていた瞬間でした。

2000年に故郷の塩尻市に職も見つけないままUターンしてきて、1年間をボーッと過ごし、挙句の果てに父が経営していた会社に転がり込んだのが2001年の夏。末期ガンで余命わずかと告げられていた父を助けたい・・・、そんなかっこいい建前を作り上げてのことでしたが、実際は再就職先も真剣に見つけてこなかった自分の逃げ道に他なりませんでした。

案の定、中途半端な志は、すぐに思いの矛先を「後悔」の方へ向け始めました。
「自分は本当は何をしたいのだろう?」
そんな時にTVで阪神大震災から立ち直ってきた人々のドキュメンタリーを偶然に見たのです。

何もかもが無くなってしまった街。
その無の中から立ち上がって復興を続けた人々。
そして、その中には喫茶店を開業させた人の姿もありました。

悲惨な状況の中から、1つの希望を見出し、それを実現できる人のチカラがある。地べたを這いつくばってガレキを片付け続けた人々が見事に再生してがんばっている。それなのに自分な何をしているんだろう。自分には、家も家族もあって、無くしたものは何も無いじゃないか、そんな風に思いました。

具体的な内容や形はわからないけれども、いつか何らかの商売をしてみたい。それが自分の根底にあったことを思い出しました。それは、小さい旋盤数台とい規模から会社を興した父の背中を見て育ったからこそ、いつでも追い続けた自分の夢の姿だったと思います。いくつか受験した大学の中から、「法学部・経営法学科」という、多少は商売に関連した学部のみに合格したのも、何らかの因縁があったのかもしれません。

そんなちょっとしたキッカケが、行動力の無いグータラな自分の背中をちょっとだけ押してくれたのです。再生しようという人間のすざまじいパワー。それを目のあたりにして、「自分も再生しなければ!」と思ったのでした。

被災した方々は、今はその無残な状況に唖然とするばかりでしょう。
でもきっと、そこから立ち上がるチカラがきっと生まれてくれると信じています。
人々はいつだって、悲惨な歴史の中から立ち上がってきたのですから。

今はただ、被災に遭われた方に、心よりお見舞いを申し上げるばかりです。