No.028 / 2005年9月27日

「転がる石のように」

 
 9月も終わりに差し掛かり、そろそろ季節も秋へと変わろうとしています。朝夕の涼しい風に当たっていると、温かい珈琲がたまらなく飲みたくなってきま す。そんな季節になると、店主はそわそわと新しい味を追求したくなるのです。

 気がつけば当店も、オープンしてから3年半の年月が流れようとしています。開店当初から現在まで、継続して販売している豆の数を数えてみたら、何とたっ たの1種類でした・・・。豆の種類が替わる度に、
多少の心苦しさとともに、常連の皆様にお詫びをしてきたのですが、常に寛容に新しい味の提案を受け入れてくれるお客様には感謝の心で一杯の店主です。

 珈琲というと焙煎の技術を売り物にする焙煎屋さんが多いのですが、どんなに焙煎が素晴らしいお店であっても、肝心の珈琲の生豆が品質が良いものでなけれ ば話しになりません。言うまでもなく珈琲豆は農作物なのですから、当たりはずれがありますし、同じ生産地の豆が常に同じクオリティであり続けるはずもない のです。品質の低い珈琲豆をとんでもなく上等な味に仕上げる焙煎技術などは存在しないのです。

 日本という国は緑茶の文化が長く根付いてきた国ですから、歴史が浅い珈琲文化は大手のコーヒーチェーンやメディアによってイメージが形成されてきたと いっても過言ではないでしょう。その象徴とも言えるのが「ブルーマウンテン」です。珈琲生豆の卸値も群を抜いて高価なこの豆は、珈琲豆の王者に君臨するイ メージが定着しております。しかし、ジャマイカという小さな島国で栽培されているブルーマウンテンの約90%が日本に出荷されているという事実を知る方は そう多くありません。誰が飲んでも図抜けて美味しい珈琲ならば、世界各国から引っ張りだこになりそうなものですが、この豆に大枚をはたいて喜んで飲んでい るのは日本人だけだということです。「ブルーマウンテン」はその昔、大手のコーヒーショップが「皇室ご用達のコーヒー」と銘打って大々的にプロモーション しました。その結果、日本人の心には「ブルーマウンテン」=「最高級品」というイメージが刷り込まれたというわけです。

 先日、当店に来たお客様から「ブルーマウンテンは置いていますか?」と聞かれました。「ブルーマウンテンは扱っていません」と言うと、そのお客様は当店 の他の豆を見ることもなく、踵を返して店を出て行ってしまいました。悲しいことです。地球上の何十カ国という多くの国の小さなコーヒー農園の方たちが、少 しでもおいしい豆を栽培しようと日々努力をしているのです。「ブルーマウンテン」よりも格段に安くて、格段に美味しい豆がいくつも存在するのです。

 以前エッセイに、いつかはブルーマウンテンを販売できるような店になりたい( No.002「ブルーマウンテンを売って いないコーヒー豆屋」
)と記しました。しかし、コーヒーを知れば知るほど、ブランドの持つ力だけ で判断されるようなコーヒーは扱いたくないという思いが高まってきました。もしかしたら店主がブルーマウンテンを販売する日は生涯に渡って訪れないかもし れません。

  「ブルーマウンテン」、「キリマンジャロ」、「モカ・マタリ」・・・日本人に定着したブランドはいくつもあります。それを仕入れて売ることは簡単なこ とです。
しかし、名も無き珈琲豆が実は光り輝くダイヤの原石かもしれません。それを探し続けることが私の 趣味でもあり、本当に珈琲を愛してやまない方たちにも伝わる思いであると店主は信じております。

 同じ場所にとどまった時に歩みは止まるのです。転がる石のように、じたばたと生きていこうと誓う店主なのでした。


P.S
 じたばたとあがいた結果、10月からいくつかの豆のラインナップが替わる予定です・・・。



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