No.027 / 2005年8月26日

「追求の果て」

  30℃を超える真夏日ともなれば、冷たい麦茶・・・というのが日本人の定番でしょう。「アイス・コーヒーも ウォーター・ドリップなら美味しいですよ」と、いくら店主が売り込んだところで、気軽にゴクゴクと飲める麦茶の代用とはなり得ません。幸いにして長野県は 夏も短いですから、8月の売り上げ減少というのは半ばあきらめて、のんびりと構えることにしております。
 
 それでもやはり、弱気の虫がたまには顔を出すようで、「スーパーなどの棚に当店のコーヒー豆を並べてもらって外販させてもらえればなあ」などと安易な方 法が頭に浮かんだりすることもあります。それでも、本当にそのような形での「外販」をおこなう気があるかというと、こういう販売形態には絶対に手を出すま い・・・と、改めて考え直す店主です。唯一の例外は、お客様からご紹介いただいたバザーへの出品です。これは、そのお客様が直接関与されているというつな がりがあるということと、原則としてバザー当日に全商品を売り切っていただけるということで、当店の新鮮な状態のコーヒーをそのままの状態で販売できると いう理由からです。

 以前にもエッセイに書きましたように( No.13 「作り手の顔」)、小さな自営店の最大のメリットは、その商品を作り上げる店主の顔が見えるということです。逆に、店主の姿勢やお客様への対応が 悪いもの であれば、作り手の顔が見えるということはデメリットにも成り得ます。品物の質を高めることはもちろん、作り手、売り手の顔が見える店づくり、それが、小 さ な自営店がこれから生き残っていくための条件だと店主は考えます。

 スーパーなどの他店舗の棚にコーヒー豆を置く。いくら良い品物であっても、その時点で商品は店主の手元を離れております。そのコーヒー豆を手にした人の 何パーセントがその豆を焼いている「焙煎人」のことを思い浮かべてくれるのでしょうか。店主の手元を離れてしまい、何日も陳列棚に放置されたままのコー ヒー豆に対して、店主はどのように気をつ かえばいいのでしょうか。

 「○○ラーメン店監修による名店の味」というようなカップ麺が好調な販売成績を上げているようです。工場のラインで生産され、店主自らが仕込むわけでも ないインスタント食品を、このような宣伝方法で販売する食品メーカーも好きになれませんが、「本物の味」を追求しているはずのラーメン店の「追求の果て」 がイ ンスタント食品だということにも、店主は寂しさを感じます。

 いくらカッコイイことを言っても、お店は「ビジネス」です。青臭い理想だけ語っていて、その店の経営が成り立たなかったら仕方ないでしょう?と問われれ ば、「その通りです」と応えるしかありません。小さな店が目ざすサクセス・ストーリーが、大きなタイアップをともなう外販だとすれば、前述のラーメンのよ うな商法 は、まさにその理想とも言えるのでしょう。

 店主が大好きなコミック文庫があります。新潟の小さな造り酒屋に生まれた主人公が、亡き兄の後を継ぎ、米の栽培から幻の酒を誕生させるまでの奮闘を描い た物語、「夏子の酒」です。最近、久しぶりにこのシリーズを読み返してみました。大手の酒造りの手法にことごとく反対し、小さな酒蔵だからこそできるこだ わりをひとつづつ実践していく主人公。「本当に良いものは宣伝なんかしなくたって売れるんだ・・・」という亡き兄の言葉を信念にがんばり続ける主人公。涙 が出そうなシーンがいくつもあります。40歳を前にして、コミック本を読んで涙ぐんでいる姿なんて、他の人には絶対に見せられるものではありませんネ。

 自分が目指すべきもの。それは大量生産、大量販売される食品への徹底したアンチテーゼだと考えます。その店からしか生まれてこないオンリーワン。片田舎 の寂しい住宅街のはずれにあるちっぽけな店だけれども、コーヒー好きな方たちが集まってくれる店。それが店主が考え る理想なのです。

 自分が追求していくべきものの果てには何が待っているのだろう。今日もわずかな売り上げにため息をつきつつ、その答えを探す店主なのでした。



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十人十色のコーヒータイムを演出する、Toiro Coffeeです。
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