No.019 / 2005年1月8日

「一年の計は元旦にあり」


  一年の計は元旦にあり

  この言葉を信じて、店主は今年の元日、あることをおこないました。それは、珈琲豆の手網焙煎です。
 エッセイのNo.17< 焙煎は料理である>でも述べましたが、珈琲豆の焙煎というのは料理そのものです。そのことを肝に銘じ、今年一年、更なる素晴らしい料理を追 及したいとの願いから、初心に返って手網焙煎を元日におこなってみようと思い立ったのです。

 手網焙煎をすると、焙煎の基本が良くわかります。色の変化、香りの変化、そしてハゼの音。すべてが豆が料理として完成していく過程で発するシグナルで す。料理人はこれらのシグナルを五感で感じながら、その豆の特徴をもっとも引き出せるポイントまで豆を焼き上げます。

 焙煎屋が大きく成長していくと、段々と大きな焙煎機を使うようになります。私の店の焙煎機は5kg釜と呼ばれるサイズで、一度に焼ける豆の適正量はだい たい2kg〜3kgです。しかし、少し大きな店になると10kg釜等を用いるようになります。更に大きな業者になると、火で豆を焼くのではなく、熱風をあ てて豆を焼き上げる”熱風焙煎”をおこなうところもあります。一度に焼き上げる量が大きくなればなるほど、豆にかけてあげる愛情は薄れていく・・・と店主 は思っています。考えてもみてください。一度に10kg近くの豆を一日に何種類も焼き上げるのに、どれほどのハンドピック作業ができるのかを。確かにグ レー ドの高い高品質な豆は不良豆の混入率はきわめて低いですから、そういった豆を使えばハンドピックの重要性は、それほど大きいものではないかもしれません。

 年末から年始にかけて、焼き栗を食べました。きれいな栗は甘みも十分でとても美味しくいただきました。しかし、中には虫食いの栗などが混ざっていまし た。それらは口にした瞬間、強烈な苦味を感じ、とても全部は食べられませんでした。珈琲も同じです。あなたが飲むであろう1杯の珈琲の中に、1粒の虫食い 珈琲豆が混ざっていたらどうでしょう。その1粒は何百グラムの中のたった1粒かもしれません。しかし、運悪くその1粒が1杯の珈琲を作るときに混入したの ならば、それは数十粒分の1粒ということになるのです。もちろん、当店がハンドピックをしているからといって、100%不良豆の混入をなくすことは不可能 です。でも、そのための努力を惜しまない姿勢は、お客様に十分伝えられると思っております。



ガ スコンロの上で、網を揺すり続けること20分、芳醇な香りがあたり一面にただよいます。焙煎機で焼きあげるようにきれいな豆面・・・というわけにはいきま せんが、自分の原点を見つめ直すには十分な美味しい珈琲ができあがります。

自分が初めて生豆を焙煎したのは20歳の頃でした。あの時の好奇心、探究心、それらを忘れずに、これからも焙煎に励みたいと思います。


 店をオープンしてから2回目の冬です。毎日のルーティンの中で、開店当初のチャレンジャー精神が段々と薄れていってしまっているかもしれません。
 数百グラムの生豆をガスコンロの上で揺さぶりながら、あの時の気持ちを、再度確認した店主なのでした。



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