No.051 / 2007年07月05日

「再生」

 
 
我が家のビワの木に、今年初めて、実がなりました。たったの数粒ではありますが、店主にとっては、待ち 焦がれたビワの実なのです。

 2000年に信州にUターンして、家を建てたときに、亡き父がビワの幼木を植えてくれました。もともとは、父が食べたビワの実から採れた種を鉢に蒔いて みたところ、そこから芽がでてきたので、それを鉢植えにして父が育てていたものです。私の実家は塩尻峠の麓に位置し、同じ塩尻市でありながら、当店が位置 する場所よりも標高が高いために、冬の寒さはかなり厳しいものがあります。温暖な場所を好むビワの木は、私の実家に地植えしても育たないだろうということ で、私が家を建てた記念にと、父が自ら植樹してくれました。

 30センチほどの幼木になるまでに数年経過していたことを考えると、このビワが実をつけるようになるまで、何と10年以上かかったわけで、その月日を越 えて結実したビワの実を見るにつけ、尚更、感激を隠せない店主です。よく「桃・栗・3年、柿・8年」などと言われますが、「もっとスゴイヨ、ビワ・10 年!」の一節くらいは追加して欲しいと、バカなことを考えているのデス。




 
 ある木がつけた実の種が発芽して、大きく成長した木についた実からまた別の木が育って・・・考えてみれば、まったく1本の木から脈々とその種が保たれて いるわけで、あたり前のことなのですが、とてつもなくすごいことに感じてしまいます。そういう意味では、人間も植物と同じく、ずっと子孫へと続くDNAを 遺していくわけで、地球上に生きるすべての動植物の不思議と、その生命力に感嘆せざるを得ません。

 亡き父が、たわわに実ったビワの実を見たらきっと喜ぶだろうな・・・と考えつつ、いや、父のDNAは私の体そのものであり、私の喜びは、きっと父の喜び そのものに違いないと、他の人から見たら「何をビワの実ごときで・・・」と思われてしまうようなことで、いささか大げさに一人亡き父を思う店主なのでし た。でもやっぱり、できることならば、笑い合いながら、一緒に山盛りのビワの実を食べたかったナ・・・

 オヤジ、その場所から、ここは見えているのですか?
 オヤジが植えたビワの木が、可愛くて、黄色くて、丸いビワの実をつけたんだよ!
 なあ、オヤジ!



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