No.016 / 2004年11月30日

「ケータイにさようなら」

   「ケータイ」を解約しました。ここ数ヶ月は引き出しの中に眠っていることが多く、それゆえ月ごとの使用料も”0”が続いていましたので、以前から思ってい たことをついに決行することになった次第です。必要がなくなったとはいえ、「ケータイ」はすでに万人に共通の所持アイテムであり、解約申し込みの書類にサ インしている時は、ちょっとだけ複雑な気持ちだったことは確かですが・・・。店主の生活のほとんどは、自宅かコーヒー豆屋のどちらかにいるわけで、「ケー タイ」の本来の機動性を必要としないワケですから、冷静に考え直しても当然の処置だったと思います。

 そのような理由で手放したことは事実ですが、もともと「ケータイ」はあまり好きではありませんでした。会議中にそれが鳴るとあわてて部屋を出て行く人た ち。大切な時間を共有しているはずの恋人同士や友人同士が、いともあっさりと「ケータイ」からの呼び出しに応じる姿。まるで「ケータイ」は絶大な力を誇 る、現代の水戸黄門の「印籠」のようです。まあ、こんなコトを言っている私自身がまるで水戸黄門のようなクチうるさい古い人間なのでしょうネ・・・。

 「ケータイ」からは相手が今どんな状況にいるのかを思いやる配慮が生まれないように思います。例えば固定電話の場合、夜の8時過ぎに電話をするともなれ ば、 「夜分に恐れ入れますが・・・」というのが日本人の一般的な切り出し方かと思います。それはもちろん「家庭」に電話をかけているワケで、自分が話したい 「個人」がその電話をとるかどうかわからないからという理由もあるでしょう。しかしながら古人から伝わってきた日本の美学が廃れていくようで、なんだか寂 しい気がするのは、私がちょっと変わっているのでしょうか・・・?。

 今やそれは、「携帯電話」なのではなくて「ケータイ」なのであって、電話以外の諸機能がテンコ盛りの先進電子デバイスです。メールやWebコンテンツの 閲覧はもちろんのこと、デジタルカメラ、GPS、音楽プレイヤー、TV、時計、計算機、数えればきりがないほどの機能が装備されてきています。各種支払い も「ケータイ」でできるようになってきましたし、ホテルや飛行機のチェックインまでも「ケータイ」を使用する動きが進んでいるというニュースも見ました。 いづれ家庭の電化製品すべての電子コントロールは「ケータイ」によってなされる日も近いでしょう。外出先から「ケータイ」から送信するだけで部屋の暖房が ONになり、帰宅時には温かい部屋が待っていてくれて、お風呂だってもちろん沸いています。スケジュールはすべて「ケータイ」にインプットされ、すべての 行動の時刻には「ケータイ」が主人に行動を教えてくれます。そしてすべての人々は「ケータイ」なしでは生きていけなくなってしまい、2015年、政府は日 本人全員の脳に極小チップ化された「ケータイ」を埋め込むことを義務付けることを国会で決議するに至りました・・・。

 ・・・と、いささか妄想が過ぎてしまいました。しかしながら私の子供の頃の通信の主役だった「黒電話」から見れば、「ケータイ」の進化はまさにSFの世 界の中の出来事くらいのすごいものでしょう。考えてみれば30年前の我が家では、お風呂をまだ「薪」を炊いて沸かしていましたし、もち米を炊く時は「かま ど」を使ったりもしていました。それらはとても大変なことだったのですが、今となってはなんだか懐かしい、そしてとても大切な宝物だったのではない か・・・などと思うのです。近い将来、固定電話はなくなるのではないかと私は思っています。そしてその時がきたら、昔は「お忙しいところを恐縮ですが」と か「夜分遅くに失礼ですが」とか面倒くさいことを言っていたんだな・・・などと冗談をいいつつも、自分たちが失った大切なものを思い出すのではないか、な どと考えている店主です。

 こんなことをエッセイに書いていると、まるで私が「ケータイ」を持っている人を非難しているようですが、そんな事はまったくありません。私の妻も「ケー タイ」を 持っていますし、私自身、知人の「ケータイ」に頻繁に電話をかけています。今後、コーヒー豆の配達等を拡大していくともなれば、「ケータイ」を所持する必 要もあるでしょう。その時は「ケータイよこんにちは」とでも題して、またエッセイを書くことでしょう(笑)。あくまで、現時点での私のライフ・スタイルに は「ケータイ」は必要なくなったというだけの話しです。

 ただ、電話というものが知らず知らずのうちに人間にストレスを与えているのは事実なようです。「ケータイ」を持つことで大切な人とつながっている安心を 身につけているようでいて、心はいつ何時でも場所を選ばずにかかってくる電話におびえているのです。実際に心療内科では、ストレスからの解放手段として、 電話から隔離した生活を勧めることがあるそうです。もし、あなたが忙しい毎日になんとなく疲れを感じているとしたら、1日「ケータイ」の電源をOFFにし てみたらいかがでしょう。そして誰からも邪魔されることなく、ゆっくりとコーヒーでも淹れてみてはいかがでしょうか。きっと懐かしいゆったりとした時間を 感じることができるかと思います。

   そんなワケで、「ケータイ」を介してのコミュニケーションが無い生活となりました。それが理由で私とつながりがなくなる人がいるとも思えません。
   私は「コーヒー豆」というコーヒー好きな人間同士をつなげる、素晴らしいコミュニケーションの種を持っているのですから・・・。



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