No.003 / 2004年04月28日

「レナ」

「レナ」というお店があります。この店ではお客様からコーヒーの注文が入ると、その度に厨房のフライパンで コーヒーの生豆を焙煎して、焼きたての豆でコー ヒーを淹れてくれます。

・・・というのは実は小説の中のお話しです。ハードボイルド小説の書き手として有名な北方謙三さんの小説に「ブラディ・ドール・シリーズ」という、全10 冊のシリーズものがあります。架空の港町である「S市」を舞台に、港町がリゾートタウンへと変貌していく過程で生まれる、様々な利権争いの中での主人公た ちの生き様を描いたシリーズです。「レナ」は第1作目の「さらば、荒野」の中では朽ち果てたスナックとして登場します。第2作目の「碑銘」、第3作目の 「肉迫」では、それぞれ「住人兼バーテンダー」の顔ぶれが変わるのですが、どの作品にもきちんと「レナ」が登場し、主人公たちの生活のアクセントとなって います。その「レナ」が喫茶店として変貌するのは、シリーズ第4作目の「秋霜」です。この店の女主人が、コーヒーの注文ごとにコーヒー豆を「フライパン焙 煎」するのです。しかもフライパンの中に飛び散るコーヒー豆の薄皮をピンセットで丁寧に取り去るという凝りようです。この小説を読んだのが、私と「焙煎」 の出会いでした。大学生時代の私は、持て余すほどの時間を、読書で費やしていたといっても過言ではありません。ハードボイルドにすっかり魅了され、バーボ ンのオンザロックを片手に朝まで本を読みふけったものです(もちろん途中で酔い潰れて寝てしまうのですが・・・)。そんな私が今ではまったくお酒を飲まな くなってしまったのには笑ってしまいます。

当時の私は結構な料理好きでしたので、さっそくコーヒーの生豆を馴染みのコーヒー豆屋から分けてもらって、自分のアパートの小さなキッチンにて「フライパ ン焙煎」を試してみました。豆の「色」のみを煎り上がりの判断基準としていたためなのか、見た目はまずまずのコーヒー豆に仕上がったのですが、味はもうボ ロボロでした。そこで奮起して再度挑戦を繰り返していたならば、私が自家焙煎コーヒー豆のお店を出すタイミングはもっと早い時期になっていたかもしれませ ん。実際はそれからしばらくは焙煎に挑戦しようなどという気持ちは遠のいてしまいました。

90年代も終わりにさしかかる頃、長野県へのUターンを考えるようになりました。そして、できるならば自分のお店を持ちたいな・・・という夢が常に私の頭 を支配していたのです。「レナ」との出会いから、すでに15年以上の月日が流れてしまいました。2000年に長野県にUターンしてきてからは、身内に不幸 が続きました。父、義父が続けてガンで他界しました。そして従兄弟の二人が心不全と白血病で他界しました。2年間という短い期間に、親しい間柄の人間を続 けて失ったことで、私は人生の意味を自問するようになったのです。明日、世界に終わりが来ても悔いのない人生を送りたい・・・・そう考えるようになりまし た。そしてその気持ちが、私の背中を押す結果となったのです。

残念ながら「レナ」のような喫茶店を開くことはできずに、豆売りの専門店という形になってしまいました。でも、自分の憧れの店に少しだけでも近づけたよう な気がして、ちょっとだけ幸せを感じている店主なのでした。



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