父が生前に懇意にしていただいた「Kさん」という方がいます。先日、Kさんの娘さんが病気で他界されたことを、新聞のお悔やみ欄で知りました。

私の父が他界して数日が経過した後、Kさんのところへ挨拶へ伺った時のことです。Kさんは、「突然の死に遭遇するよりも、病気で逝ってくれた方がいい。家族は別れの時までの時間を持てるし、心の準備ができるのだから。」と私に言ってくれました。

もちろんそれは、食道ガンで逝ってしまった父との別れの悲しみを少しでも和らげてあげようというKさんの心配りだということは理解できました。

でも、まだ悲しみの中にいた自分は、そんな言葉さえも素直に受け入れることができずに、「人の死に方に良いも悪いもないじゃないか」とひねくれた思いを抱いて、その言葉に内心反発したことを覚えています。

抗ガン剤の副作用で、顔や手足がパンパンに膨れ上がった姿。モルヒネを投与した夜に幻覚に怯えた姿。そんな姿を思い起こす度に、突然に逝ってくれた方がどんなにか楽だったろうと、あらぬことを考えてしまいました。

気がつけばあれからもう10年以上もの月日が流れました。時間は少しずつ心の痛みを和らげ、父の死も冷静に回顧することができるようになりました。今だったら、Kさんが言ってくれた言葉の意味も、前よりももっと理解できるし、そんな言葉を掛けてくれたKさんの優しさも受け入れられる気がします。


自分よりも先に娘さんを送らなければならないKさんの悲しみは、私のそれとは比べ物にならないほど深いはずです。月日が流れて、Kさんの心の痛みが少しでも和らいでくれることを祈るばかりです。