1979年。
私が13歳の時、中学1年生の冬でした。その曲が放ったインパクトは今でも忘れることができません。人生の中で、自分の思い出の曲ベストテンを作るとするならば、間違いなくその中にランクインさせなければならない曲です。

その曲は、オフコースの「さよなら」。
その後に発売されることになるアルバム「We are」の大ヒットもあって、オフコースの人気は社会現象と呼んでいいほどの大きな波となっていきます。1982年くらいが人気のピークで、「Off Course Consert 1982.6.30」と題したフィルム・コンサートが全国各地で上映されました。1つのバンドのライブが映画として上映され、それが全国の会場でほぼ満員となってしまうなんて、国内のバンドでは後にも先にもオフコースが唯一ではないでしょうか。私も今はもう無い松本市民会館(現在の市民芸術館がある場所)で、この「ライブ」を観た1人です。

兄の影響もあって、私が当時一番聞いていたバンドといえば「チューリップ」でした。財津和夫さんが描き出す音楽はポップで明るくて、中学生の男性が聞いても素直に感情移入できる曲が多かったと思います。それに比べるとオフコースの曲(主に小田さんの曲)はどちらかというと女性的で、その音楽性には尊敬するものの、自ら「ファン」となるにはちょっと気恥ずかしいものがあって、実際、それほど深く「ハマッた」わけではありませんでした。

最近、オフコースのベストアルバムなどを聞き返してみると、当時は見向きもしなかった初期の頃の曲にいいものがたくさんあることに気が付きます。最初は小田さんと鈴木さんの2人でやっていたオフコースでしたが、アルバム「Three and Two」から、当時のライブやレコーディングを一緒にやっていた松尾さん・大間さん・清水さんの3人が正式なメンバーとなって、オフコースは5人編成になりました。私が言うところの「初期」というのはつまり、オフコースが小田さんと鈴木さんの2人組だった時代のことです。

この頃のアルバムは鈴木さんのカラーがとても出ていて、アレンジもギターを中心にしたものが多く、音にライブ感があって、よりアコースティックな響きです。今にして思えば、オフコースの音というのは、小田さんと鈴木さんが二人三脚で築き上げてきた音の厚みだったんですね。プロデュース側の意向で「小田さんをメインに立てて活動していこう」ということになって、鈴木さんカラーが減らされていく傾向に向かったオフコース。ずっと一緒に音楽をやってきて、それまでは対等な立場で小田さんと向き合ってきた鈴木さんが、その後に脱退という道を歩むことになった気持ちは、初期の頃のアルバムを聞くほどに理解できるような気がします。


先日リサイクルショップで購入してきた中古のLPレコード。
オフコース1975年のアルバム「ワインの匂い」です。



初期のオフコースの代表曲でもある「眠れぬ夜」や、アルバムのタイトルにもなっている「ワインの匂い」が収録されているアルバムですが、鈴木さんの「雨よ激しく」や、小田さんの「愛の唄」「老人のつぶやき」など、良い曲がたくさん収められています。「眠れぬ夜」はその後、西城秀樹さんがカバーしたことでも有名になりました。当初はバラードだったこの曲を、プロデューサーの発案で8ビートにアレンジし直したのだとか。こういったアプローチなどが、その後のオフコースの成長の土台になっていたのでしょう。そういう意味でも間違いなく、オフコースの代表作に挙げていいアルバムだと思います。

子供の頃、親友と些細なことでケンカになってしまい、結局その彼とはそれ以来、クチをきかなくなってしまいました。仲直りの手を差し出すことはとても簡単なことだと分かっていても、それをプライドや臆病さが邪魔をしてしまうのです。

いろんな紆余曲折があったのだと思います。でも、願わくば、小田さんと鈴木さんが再び同じステージに立って、私の好きな初期の頃の名曲「こころは気紛れ」や「ランナウェイ」などを歌う姿を、もう一度見てみたいと思うのです。